9月19日メルマガ「私が強くなった理由:中国での辛い仕事の経験談をお話しします」
おはようございます、えれなです♪
昨日は、めちゃくちゃ雨でしたね〜
うちは車がないので、
雨だと移動が大変なんですよね。
昨日は、上の子の習い事があって
夫がレンタカーで送っていきました!
カレコっていうシェアカーを使ってるんですけど、
10分単位で借りられるんですよ。
なので、雨がひどい時の
保育園や習い事の送迎はレンタカーしてます♪
料金なんですけど、10分170円なんです!
だから20分で往復できたら340円ですよ〜
保育園までバスで往復したら
440円かかるからねー!
カレコの方が安いっていうびっくりな事実でした。
車がないと無理ー!
っていう地域の方は、もちろん車必須ですけど、
首都圏に住んでいたら、全然レンタカーでいけると
車なしで6年間過ごして思ってます♪
——————————–
ママ専門の公式ライン稼働中です♪
こっそり有益情報お届けしちゃいます
【ママ専門】
えれな公式ライン登録&
高値で売れるようになる!メルカリ完全攻略マニュアルの
配布はこちらです↓↓↓↓
https://line.me/R/ti/p/@373gcpwe
*★*――――――――――――――*★*
私が強くなった理由:中国での辛い仕事の経験談をお話しします
*★*――――――――――――――*★*
今日はですね、
私が仕事で辛かった経験をお話ししようと思います。
ブログで稼ぐっていう
お話しは今日はしないので、
興味のない方はスルーしてくださいね♪
私が人生において、
かなり精神的に辛い時期を過ごしたのが、
間違いなく最初に中国に滞在していた7ヶ月です。
私は、2016年に日本に帰国したんですけど、
その前は
イギリス→中国(珠海)→香港→中国(深セン)
とトータル8年くらい海外に住んでいました。
中国のことは最初は
そんなに好きじゃなかったのに
(むしろ嫌だった)
結果的には
めちゃくちゃ長く滞在することになったんですよね。
8年の海外生活のうち、6年は中国
でも、もしチャンスがあったら
もう一回中国に住んでみたいとも思います。
今は結構好きな国ですよ♪
まずは海外へ行き始めた時の話から・・・
7年間勤めた航空会社を辞めて、
イギリスへ留学しました。
イギリスでは大学院で勉強をして、
修士号を取得しました。
って書くと、
めちゃくちゃすごそうに見えるけど、
イギリスの大学にもレベルがあって
私の行ってた大学なんて中級なんで
行って普通に勉強したら誰でも
大学院は修了できます、本当に。
イギリスで2年勉強して、
その後イギリスで働きたかったけど、
リーマンショック直後の2010年
イギリス人でも仕事がないのに
外国人に仕事はないから帰国した方がいいよ
と言われて日本に帰って仕事を探すことにしました
当時、私は30歳、独身。
CAとしてのキャリアしかなかったので、
何か別のキャリアを身につけたいと
必死に仕事を探しました。
今なら、30歳ってめちゃくちゃ若いじゃーーん
って思えますけど、
当時は、もういい歳だから、
仕事もあまりないし、選べないって
自分も思ってたし、周りにも言われてました。
(;´Д`)
日本の実家での生活は本当に気楽で、
生ぬるくて、ここでしばらく働くのもいいな
なんて思ってしまうのが人間の弱いところ笑
海外に出るとわかるんですけど、
・母国語が通じる
・安全
・清潔
・知らない人が親切
・病気になっても困らない
という日本に住んでいたら
何も感じないところが
ものすごーーーく快適なんですよね。
それで、
名古屋の実家周辺で就職活動をして、
リクルート系の広告代理店に内定を
もらったりもしました。
でも、じゃあ私はなんで
ずっとやりたかったCAを辞めてまで、
イギリスに留学したのか?
もっと攻めた人生を歩みたかったんじゃないか?
と考え直して、内定を辞退。
海外で働く仕事を探し始めました。
イギリスで仕事を探した時にお世話になった
日本人向け求人斡旋会社の方に相談したら
英語も通じるし、景気も悪くない
シンガポールで働くのはどうですか?
と言われて、
シンガポールの求人を探し始めました。
その中で見つけたマカオで働く仕事。
(シンガポールの求人に
マカオで働く仕事があるっていうところは
突っ込まないでください笑)
マカオがどこにあるのかも知らないのに、
問い合わせをしたら、
たまたま役員が東京出張の予定があるので、
東京で面接をしてもらえることになり、
東京に行って面接をしました。
その時にお会いしたのが、
私が秘書をすることになる
日系建設会社の会長、当時70歳くらい
一度、マカオに来てみますか?
と言われて、内定+現地視察みたいな感じで
マカオに行くことになりました。
マカオってカジノで有名ですけど、
香港と同じで中国の経済特区なんですね。
中国なんだけど、特別な管轄で、
中国政府の締め付けがゆるいというか、
マカオはポルトガル
香港はイギリスの植民地だったので
中国本土とは違う発展の仕方をしたんです。
それが逆に良い効果を表して、
中国本土より経済的に発展しました。
マカオはカジノで
香港は金融で世界のポジションを取りましたよね。
で、マカオに初めて行った時、
とにかくギラギラのカジノの装飾、
派手派手な演出に度肝を抜かれ、
でも、
ホテルも綺麗だし、
レストランも衛生的で
タクシーも綺麗
マカオってこんな発展した町だったんだ〜
と思いました。
そして、私は数ヶ月後に騙された!!
って思うんですよね。
というのも、私が内定した会社
マカオに本社はあるけど、
「今、マカオは外国人に就労ビザを出すのが
めちゃくちゃ難しいから、
隣の中国広東省の珠海という街に
珠海支店があって、そちらに勤めて欲しい
マカオとそんなに変わらないから!」
と会長に言われて、私は中国本土の
広東省珠海(じゅはい)に住むことになったんです。
日本に住んでると
島国だから隣の国が地続きで繋がってるって
イメージが湧かないと思うんですけど、
隣国と地続きで繋がってる国は
国境を通ったら別の国があるんですよね。
※マカオも香港も中国本土と行き来するときは
パスポートが必要です。
今でも別の国扱いなんですよ。
それで、国境をまたいで
中国本土の珠海に行くことになりました。
そこで驚いた、マカオと中国珠海の違い。
時代の感覚が10年くらい違うんじゃないかっていう
汚いし、物乞いとかいるし、
そこら中で用を足す子供もいるし、
人々は乱雑だし、
建物もぼろぼろで汚いし、埃っぽいし、
もちろん中国語しか通じない。
今はもう10年経って
だいぶ綺麗になったと思うんですけど、
それでもまだ
上海や深センのような都市ではないので
まだ発展途上だと思います。
とにかく、ザ・中国って感じの雰囲気が
珠海に初めて降り立った時に目に入った光景でした。
珠海では、住む場所を決めて、
働き始める日を決めて、
日本語ができるスタッフに
色々連れて行ってもらった気もするけど
全然記憶がありません・・・
なんか、もう
初めての中国がショックすぎて、記憶がない笑
そんなんでも、なんとか
働いてみることにして、
数週間後には、働くために珠海に渡航しました。
私は会長秘書として働き始めたんですけど、
社長がイギリス人だから通訳とか
会長自身の身の回りの世話とか
そういうのをなんでもやるっていう仕事だったんですよね。
でも、実際に働き始めたら、
建設会社の専門的な英語を通訳できるほどの
英語力なんてなくて、
(通訳って2年留学した程度でなれるほど甘くないです。
専門的な勉強が必要)
結局、夕食のアポ取ったり、
車の手配したり、会長の予定をメール送信したり
簡単な資料の翻訳をしたり、
そんな会長の身の回りの世話がメインの
仕事だったんですよね。
で、私はこの仕事内容のなかで
ものすごく嫌なことがあって、
それは、会長の愛人(20代前半中国人)の
相手や面倒でした。
当時、珠海では、まだ
中国人の女を買う、囲うというのが普通で
日本人の駐在員のおっさんが
みんな愛人と一緒に住んでいたんですよね。
たいてい、
日本人向けのカラオケ(キャバクラ)で
働いていた日本語ができる子を
給料より良い額を渡すから
愛人にならない?みたいな口約束をして
囲うみたいな。
江戸時代ですか?
みたいなことが普通にあったんですよ。
日本人の出張者はそこで遊ぶのが楽しみで
出張に来る人も多くて、
その手配とかするんですよ。
奥さんを連れてくる人は、
私が奥さんを別行動でもてなして
カラオケで遊ぶ時間を作れ!
って指示されたこともあります・・・
会長の愛人を日本に連れて行きたいから、
会社で働いてるってことにして
ビジネスビザを取って
さらに、その子が日本に渡航する日、
自分は先に日本に行ってるから
一緒にマカオで前泊して欲しいとか
ものすごいリクエストもありました。
まあ、そんな感じの
中国の生活って病みますよね。
加えて、私は、中国語ができなくて、
珠海って簡単な英会話も通じないんですよ。
ハウマッチ?
ワン、ツー?
さえ通じない。
だから本当に必要最低限の中国語を
身につけてから渡航しないと
まじで何にもできなくて困ります
(;´Д`)
だから、私は日本語ができる中国人の
同僚にいつもついていって、
自分では何もできないし、
仕事って言ったら、
自分の能力の低さを思い知らされるか、
やりたくもないことばかりで、
ほんとーに辛い7ヶ月だったんですよね。
ヽ(´Д`;)ノアゥア…
で、ある日、突然解雇されたんです。
解雇理由は「能力の低さ」でしたけど、
実際は、会社の経営状況が
めちゃくちゃヤバかったんだと思います。
働き始めてすぐに
給料が遅れるようになったんですね。
日本人の給料って高いから
支払いが後回しにされて。
現地の中国人のスタッフの給料も
払えないくらいになってくると、
怒った工場の人たちが、
会社に詰め寄ったりしてきて、
「危ないから外に出ないでね」
って中国人スタッフの子に言われました。
そんな状況での解雇。
日本みたいに、失業保険とかもないから、
いきなり無職ですよ笑
でも、私は本当ーに辞めたかったので
ラッキーー!!
くらいな気持ちでした。
日本に帰ろうかな〜、
どうしようかな〜って思っていた時
香港で働く仕事を知り合いが紹介してくれました。
それで、スーツケース一個持って
香港に引っ越して、今度は香港で働き始めました。
中国珠海に住んでいたので、
香港の環境は最高すぎて、
香港の生活はとにかく楽しかったです。
・英語通じる
・家はプール付きタワマン
・買い物や食べ物に不自由しない
・病気になっても困らない
さらに、
仕事で必要としてくれる、
能力を評価してくれる
というのがめちゃくちゃ自信に繋がりました。
でも、香港でさえも、
日本と違いすぎて精神を病んで
帰国する駐在妻とかもいるんですよね。
私は、最初に最低な条件で働いたので、
香港の環境はサイコーー!!って
めちゃくちゃ嬉しかったです。
まあ、この香港の会社も
本当に色々あって、順風満帆ではなくて、
結局2年で辞めて、
今の夫と結婚して再び
中国広東省の深センに行くことになるんですね。
(夫は深センに駐在中でした)
でも、深センに住み始めても、
珠海の時のようなショックはないし、
(実際に深センの方が発展しているので
生活環境は良いです)
深センのような環境でも、
全く平気で楽しく過ごせるようになったんですよ。
深センでは、中国語を真剣に勉強して
中国語検定5級までとりました。
(中国語検定は6級が最高級)
中国語が話せるようになると
中国生活が断然楽しくなってくるんですよね。
もっと中国語を勉強したかったんですけど、
一人目を妊娠して勉強を続けることが
できなかったです。
私は、一番最初に珠海という町で、
生活環境的にも
仕事の環境的にも
最低限の経験をしたと思っています。
こんな程度で?
と思われるかもしれないですけど、
私の中では人生で一番辛い期間でした。
でもその時の経験があるから、
生活環境においても、
仕事に関しても、
日本にいるだけで
なんて恵まれているんだろう!
って思えるんですよね。
そして、
結構なイレギュラーがあったとしても
動じない自信があります。
というのも、中国の生活って
毎日がイレギュラー
毎日がネタだよね
って友達に言われてました笑
本当に大変な経験だったけど、
色々経験しといてよかったなーって
思ってます。
中国語に関しては、
すごく中途半端になったのが嫌で、
もう一回学びたいと思ってるんですよね。
なので、夫が中国駐在になったら
また大学で勉強したいなって
思っています♪
そうそう、最初に
「マカオを変わらないから」
って珠海に住むことになったわけですが、
本当に騙されたと思いますよね。
求人サイトに書いてあった条件だから
訴えられるレベルだと思う笑
そんなこんなで、
今は、全然違う仕事
ブログで稼ぐ、サポートするっていう
をしてるんですけど、
とにかく幸せですね〜♪
・清潔で安全な日本だし←まずそこ!
・子供を預けるのも心配ないし
・病気になっても近くに病院があって
医療費は保険でカバーされるから安いし
それでいて、
自信を持って仕事ができているというのが
本当に嬉しいし楽しい!!
ということで、今私は
とっても幸せだよーーという
お話でした♪
*★*――――――――――――――*★*
あとがき
*★*――――――――――――――*★*
そうそう、
私がブログを学んだブログ塾
「ママリボン」の募集が
9月末に始まりますよーーー!!
で、そのママリボンに関して
すごいお知らせがあるんですよ!!
近日中に、そのお知らせできるので、
待っててくださいね〜♪
毎年ママリボンって
めちゃくちゃ人気で
すぐに満席になっちゃうんですよね。
だから、
ちょっとでも気になるなら
しっかりと情報を受け取れるようにしておいて
くださいね!!
ママリボンに関して
何か聞きたいことがあったら
ラインで気軽にお尋ねください〜
——————————–
ママ専門の公式ライン稼働中です♪
こっそり有益情報お届けしちゃいます
【ママ専門】
えれな公式ライン登録&
高値で売れるようになる!メルカリ完全攻略マニュアルの
配布はこちらです↓↓↓↓
https://line.me/R/ti/p/@373gcpwe
——————————–
コメント