10月16日メルマガ「中国(珠海)の同僚の思い出と盗難被害にあった話」
おはようございます、えれなです♪
珍しく前日に書いています。
というのも本日、バレエ発表会当日で
もう朝からわちゃわちゃ
バッタバタが予想されているんですね。
なので、前日の日中に書いています。
私の母もこちらに到着し、
迎えに行きました。
もうそろそろ夫の両親も
到着する頃ですーー
ただでさえ発表会で緊張するのに、
両親のアテンドも重なり
怒涛の週末になること間違い無いですね笑
ということで、今日は
ブログのお話はなしにして、
海外にいたときのお話にします。
興味のない方はスルーしてくださいね♪
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中国(珠海)の同僚の思い出と
盗難被害にあった話
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前回、中国と香港で働いていた話を書いたら
今までにないくらいの反響だったんですよ。
海外で働いた経験って
貴重なんだなーと再確認しました。
よく考えたらそうですよね。
多くの人は、旅行・もしくは留学で
働くということまでは経験しないですもんね。
前回のお話は、こちらのバックナンバーを
ご覧いただければと思います。
9月19日メルマガ
「私が強くなった理由:中国での辛い仕事の経験談をお話しします」
https://erena-style.com/backnumber20210919/
9月20日メルマガ
「私が強くなった理由2:香港での辛かった仕事経験をお話しします」
https://erena-style.com/backnumber20210920/
今日は、中国での経験の中の
同僚の話と盗難の被害にあった話をしますね。
私は、2010年に中国珠海で
日系建設会社の会長秘書として
働くために初めて中国に住むことになりました。
中国で働くようになった経緯とかは
上記のバックナンバーでお話ししています。
中国珠海には、日本人がほとんどいなくて
特に若い女性は少なかったです。
私を含めて5.6人くらいしか
いなかったんじゃないかと思います。
その中でも一人、
私と同じ会社で働いていた
私より10歳くらい若い
まーちゃんという女の子がいました。
当時私が30歳だったので、
まーちゃんは21歳ぐらいだったと思います。
私より少し先に珠海で働き始めて、
自前の勉強熱心さを生かして
あっという間に中国語ができるようになり、
全然中国語ができない私の
生活や仕事の助けをしてくれていました。
日本人の会長や社長と関わる仕事だった
私とは違い、まーちゃんは
現地の中国人と一緒に働く部署で
同僚中国人からの信頼も得ていました。
まーちゃんが
会社内で唯一の日本人女性だったので、
毎日、会社帰りに
夜ご飯を食べに行ったり、
マクドナルドで勉強したり、
たくさんの時間を一緒に過ごしました。
夜ご飯はいつも
麻辣湯(まーらーたん)というB級グルメで、
出汁で、野菜や肉を茹でて
辛いスープにつけて食べるという
中国ではよく見かける
屋台飯の一つです。
野菜や肉や麺がたくさん並んでいて、
セルフサービスで好きなものをとって
茹でてもらうんですよね。
私は、その麻辣湯が好きすぎて
奇跡的に見つけた
クックパッドのレシピで
繰り返し家でも作っていました。
特に妊娠中はできるだけ
外食を避けた方が良いと言われていて
(体に悪い添加物とかがたくさん使われているからです)
それでも麻辣湯が食べたくて
家で作って食べていました。
レシピはこれです↓
https://cookpad.com/recipe/1760998
このレシピは最初からスープ作って
その中で野菜などを茹でてしまうんですけど、
屋台だとラーメンみたいなザルに
野菜や麺を入れて茹でてから
スープに入れるんですよね。
そんな麻辣湯を会社帰りに食べながら
ぶつぶつ会社の文句を話す
それが、まーちゃんとの思い出です。
中国広東省の珠海の街で、
路上の汚いテーブルで
屋台の麻辣湯を食べる
日本人女性2人は
結構浮いていたと思います。
一度、まーちゃんと
マクドナルドでお茶していたら
(当時、スタバとかなくて
綺麗なところでお茶するって言ったら
マクドナルドしかなかったんです・・・)
中国人の親子に
お金が落ちてるよって言われて
小銭が床に落ちているのを
教えてくれたんです。
私たちのお金じゃなかったので
誰かが落としたものかなー
と話していて、
中国人なのに、
お金をくすねずに教えてくれるなんて
いい人だねーーーなんて話していたら、
ない!!!
バックがない!!!
やられたーー!!!
盗まれたーーーヽ(´Д`;)ノ
私のバックが盗まれたことに
気づきました。
さっきの親子が話しかけて
私たちの注意を引いている間に
背後から私のバックが
盗まれていたんですね。
そう、お金が落ちてるよ
と話しかけた親子、
バックを盗んだ人
全員仲間だったんですよ。
お金落ちてるよ、って
中国人が教えてくれるわけないんですよ
(すみません、
当時の珠海の話ですので
今はわかりませんよ)
私は当時中国では珍しかった
iPhone3Gを持っていて
それを使ってるのを見ていたんでしょうね。
確実にiPhoneが狙われました・・・
今では、
中国でもスマホは普通ですけど、
10年前、スマホは超貴重なもので、
私もiPhoneを使うときは
本体が見えないように気をつけて
いたんですけど、
どこかからか
見ていた人がいたんでしょうね。
当時、アップル製品はすごく
特別な扱いだったんです。
マカオと珠海は隣町なのですが
マカオは経済特区なので
国境があってイミグレ(出入国審査)があるんですね。
そこを通るときに、
当時はiphoneを持っていると
没収されるから
絶対に見せるなって言われてました。
数年後には、
アップルストアもできて
みんなiphoneを持つようになりましたけど
その前までは、そんな感じだったんです。
バックが盗まれたことに関しては、
私も不注意だったのでとても反省しました。
日本人がよくやる
椅子にぽんってカバンを置くのは
治安の悪い諸外国では
絶対にやってはいけないことです。
あっという間にバックが盗まれますので
本当に気をつけてくださいね。
バックが盗まれて、私は
・iphone
・財布
・キーケース(家の鍵・会社の鍵含む)
などを失いました。。。
そのときは、まーちゃんが
一緒にいたので、
とりあえず会社に行って
会社の電話でいろんなところに電話して
日本語が話せる中国人に
来てもらって
家の鍵のスペアキーをもらったり
会社の鍵は、
盗まれてしまって
誰かに入られたら危険なので
私の負担で全部変えることになりました・・・
(でも、めちゃくちゃ安くて
二千円くらいしか払ってないです笑)
盗まれたiphoneは
ソフトバンクの契約だったので
手元にiphoneはないのに
契約満了まで毎月iphone代を支払っていました・・・
(;´Д`)
そんなたくさんの思い出を共にした
まーちゃんなのですが
私が会社を解雇される少し前に
まーちゃんは先に会社をやめて
日本に帰国しました。
日本に帰って大学に行って勉強したい
ということだったのですが、
お金がないので、夜間に行って
仕事しながら夜は大学に行く
というようなことを言っていました。
研究職につきたいということで、
理系の大学を目指して勉強していました。
その後、私は結婚して出産しても
しばらく中国にいたのですが、
まーちゃんとは
全然連絡を取らずにいて
上の子が2歳半の時、
私たちは日本に帰国しました。
当時、仕事に悩んでいたら、
まーちゃんが連絡してくれたのですが、
まーちゃんはびっくりすることを言いました。
乳がんで闘病中だというんです。
当時、まーちゃんはまだ20代で
20代の頃って
乳がん検査なんてしないですよね。
私は今でこそ
毎年乳がん検査やりますけど、
20代の頃は全然やってませんでした。
まーちゃんは
しこりがあって気になって
病院に行ったときは乳がんステージ3で、
結構進行はしていたけど、
抗がん剤治療などもして
症状はだいぶよくなってきている
ということでした。
色々あって大変だったけど、
なんとか外出できるようになったので、
一度会いませんか?と言われて、
会う約束をしていたんですけど、
そのとき、私は
ものすごい咳のでる風邪をひいていて、
うつしたらいけないのでと
キャンセルさせてもらいました。
その後、なんとなく連絡は取らず、
私は、下の子を妊娠したり出産したりと
忙しくてまた疎遠になってしまって、
そういえば、
まーちゃんどうしてるかな?
って突然気になったので、
Facebookを見てみたんです。
そしたら・・・・
追悼ページになっていました。
お兄さんからの言葉で
「まーちゃんは長い闘病生活の末、
息を引き取りました。
生前のまーちゃんはチャレンジに溢れていて
最後まで病気と戦い続けました」
と書かれていました。
しばらく言葉を失って、
共通の知り合いに連絡をとってみたら
乳がんが一度は完治したけど
再発して、闘病していたけど亡くなった
ということでした。
まーちゃんとの連絡をとっていた
やりとりを見ると
会う約束をして
私がキャンセルをしていて
それで連絡が途絶えていたんですね。
どうして私は会う約束を
もう一度しなかったんだろう・・・
とめちゃくちゃ後悔しました。
あんなにお世話になったのに
もう一度お礼が言いたかったな
もう一度会いたかったな
という思いが溢れて仕方ありません。
まだ若くして
やりたい勉強も
やりたい仕事も
結婚や出産もせずに
この世を去ってしまった、まーちゃん。
もっとやりたいことが
たくさんあっただろうなって思います。
なので、私は
まーちゃんのためなんて
おこがましいけど
今を全力で生きる決意をしています。
まーちゃんの特別な
中国で働くという経験の一部に
私が関われたことを光栄に思います。
大変すぎだった中国の仕事。
辛いことの方が多かったけど、
本当にたくさんのことを学びました。
そして、まーちゃんみたいな
頑張る日本人女性に出会えたことに
感謝しています。
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あとがき
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病気で亡くなる友人が
この数年、何人かいて、
それぞれ病気は違うんですけど、
どの友人も頑張って闘病した末に
亡くなっています。
友人にはそれぞれの家族があって
思いを馳せるだけで
涙が出てきてしまいます。
病気で亡くなるって
抗えないことですよね。
家族を残して
やりたいこともできずに
どれだけ無念だったかなって
想像もつかないです。
だから健康でいられるだけで
感謝しなきゃいけないことだなって思います。
本当に、
「生きてるだけで丸儲け」
ってことですよね。
中国の話をすると
必ず思い出すまーちゃん。
まーちゃんのことを思うと
言い訳なんてできないなって思います。
まーちゃんに頑張ってるよーって
報告できるようにしないとね
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